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色らしさのススメ [コラム]

三週間ぶりの投稿だ!
久し振りだね、諸君!

今回の記事では、私がこれまでの記事でテーマにしてきた『色らしさ』の必要性について語っていく。
なぜ、フレアロードは存在してはいけないのか?
なぜ、アキロは多くのプレイヤーに嫌われているのか?

この点について、私なりの見解を述べるつもりだ。

興味があれば、是非とも続きを読んでくれたまえ!






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カードパワーだけではない



まず、最初に断っておきたいのは、フレアやアキロが嫌われている大部分の理由は、
これらのカードが強すぎたからだ。

環境を固定し、これらに勝てないデッキを否定するからこそ、
禁止になったと私は考えている。
つまり、『色らしさ』云々の前に、カードパワーが高過ぎることが問題ではある。

しかし、私はフレアやアキロが嫌われている理由は、これだけではないと考えている。
これらのカードが嫌われるのは、私の考える『色らしさ』を無視していることも、大きな要因だと感じているのだ。

カードパワーだけで評価を下すなら、《光の巫女ホリプパ/V-2》や《アイスドラゴン/V-2》も、
十分に禁止になる素質のあるカードだ。


これから私は『色らしさ』を守ることにおける代表的なメリットを3つほど述べた上で、
フレアやアキロがこれらを完全に無視していることについて語ろう。

では始めよう。
まずは3つのメリットの1つ目からだ。



『色らしさ』を守るメリット1,ゲームを面白くする



私は、カードゲームを、人類が生み出した、至高の対戦ゲームと評価している。。
しかし、カードゲームはたとえルールが同じでも、カードプールの環境が変われば、
面白いものにもつまらないものにもなる。
面白い対戦ゲームと、面白くない対戦ゲームの差は、どこから生まれるのだろうか?

ここでは、その全てについて語ることは出来ない。
(すべてを語ろうと思うなら、新聞紙の紙面をテレビ欄以外を、一日ハイジャックしなければいけないな!)
が、最も大切なモノの一つは、『相性がある』ことだと私は考えている。

グーはチョキに強く、チョキはパーに強く、パーはグーに強い。
言うならば、ジャンケンに最強の手は存在しない。
これこそが、対戦ゲームとして大切な要素だ。
この相性がなくなれば、いずれは、最強の一手、最強のデッキが発見されてしまうだろう。
答えが既に出ているゲームに、多くの人間は熱中しないものだ。

相性があるからこそ、そのゲームには深みが生まれ、 人々はそのゲームにハマっていくのだ。

これをD0に置き換えるのならば、『相性』とは色の弱点が生み出すものだ。
例えば、黒のカードだけでデッキを組んでみるとしよう。

黒のカードは除去力の高いカードが多く、強力なユニットも存在するので、
相手を倒しながら、ビートもコントロールも自在にこなすことが出来るだろう。
しかし、黒のカードには「ベースを壊せない」という明確な弱点が存在する。
(ああ、東方の黒はベースを壊せるな。しかし、私はデザインを評価する立場を取るならば、
あのカードを認める訳にはいかない)
(但し、カードプレイヤーとしてならば、あのカードは大好きだ。
デザイナーの黒が好きな気持が伝わってくるし、何より使っていて爽快だ)

この弱点こそが、D0というゲームを、複雑に、そして面白くしていくのだ。
どんなに黒単というデッキがトップメタになろうとも、
黒単がベースに触れられない以上、対応策を作ることは簡単だ。
機能すればそれだけで勝ちに近づくようなベースを、
製作者が1枚でも黒以外に用意しておけばよいのだ。
(おっと、《妖精の社交場/IV-3》君には退場を願おう)


除去に弱いが、壊されなければ大仕事をするベースがあれば、黒単が天下を取ることは出来ない。
黒単はベースを壊すために、他の色と手を組むしか無いのである。
そして、2色になるということは、環境が多様化するということだ。
さらに、デッキの安定感が単色よりも落ちるので、より運が絡む勝負へと、戦いが昇華されていく。
(運が絡めば絡むゲームほど、勝率を上げるためには実力が必要になる。
この事については、今後機会があれば書くことにしよう)

ここから導き出される結論は、
『色らしさ』で最も大切なことは、弱点――何が出来ないのか?を固定すること
このように言うことが出来るだろう。

色毎に「出来ないこと」を設定することで、そのゲームの多様性は増し、
環境への正解が簡単には出せなくなり、
より実力者が有利なゲームを、末永く楽しむことが出来るのだ。


『色らしさ』を守るメリット2,安心感を与える



突然だが、諸君はホラー映画を見たことが有るだろうか?
大人数から離れて一人になった途端襲われたり、
仲睦まじいカップルが急に襲われる、あれだ。

私自身は怖いものからは全力で逃げるタイプであり、
なぜあんな映画が存在するのか!と思うような人間である。
しかし、そんな私でも、たまにホラーを嗜みたい時があるのだ。

何故、我々はホラー作品をつい見てしまうのだろうか?
なぜ、肌寒い夏の夜に、タオルケットを被りポップコーンを片手に、真っ黒な部屋で青く光るTVの前に座ってしまうのだろうか?

この答えは、人間の脳が、何を求めているかを観察すれば見えてくる。
人間の脳は、はるか昔から、『冒険』と『安心』を求めているのだ。
1つずつ説明しよう。


我々が原始人であった頃、冒険心は必須のスキルであった。
なぜなら、冒険して新しい土地に行かなければ、食べ物が無いからである。
既に行ったことのあるテリトリーだけで食事をするためには、
食物を耕さなければいけないが、原始人にはそんなスキルは存在しない。
木の実が地面に散乱し、新たな獲物が野を駆ける土地を、
我らの先祖はなんとしても探さなければいけなかったのだ。

冒険心――非日常を求める心は、我々がここまで生き残るために必要だったのである。

一方で、冒険とは厳しいものだ。
新たな土地に行けば、見たこともない危険に出会ってしまう。
食べたことの無い食べ物には、毒が入っているかもしれない。
うっかり一歩前に進むと、崖から落ちてしまうかもしれない。
冒険には危険がいっぱいなのだ。

我々が生き延びるためには、火遊びをする訳にはいかない。
悪戯心で不必要に前に進めば、それだけ種が滅びるリスクが増すのである。
我々は慣れ親しんだ住処で、少しでも暖かく、少しでも満腹感を得て眠る必要があったのだ。

安心――日常の素晴らしさを噛みしめる心も、我々が生き残るためには必要不可欠であった。

矛盾する冒険心と安心を両立させて生きてきた子孫が、我々人間である。

我々がホラー映画を好む理由もここにある。

我々はホラー映画を見て、スリルとサスペンスの非日常に触れ続ける。
手に汗握り、動機は早まり、顔面蒼白、冷や汗が流れる。
そして、エンドロールで我に返るのだ。

ああそうだ、ここは私の家の中だ!


……何の話だったか?
そうだ、D0の『色らしさ』についてだ。

D0で『色らしさ』を守り続けることは、 我々プレイヤーを安心させることにつながるのだ。

カードゲームは新弾が出る度に、プレイヤーは新たな荒野に放り出される。
どのカードがどんな働きをするのか?そのカードは自分にとって有用なのか?
何もわからない状態に陥ってしまうのだ。

しかし、最低限の『色らしさ』さえあれば、
プレイヤーは、この新しい冒険の地でも、安心を得ることが出来るのだ。

『色らしさ』とは、新しい環境でありながら、プレイヤーに既視感を覚えさせることで、
プレイヤーを安心させ、新環境に親しみを与えてくれるのである。



『色らしさ』を守るメリット3,フレイバーの魅力が高まる



いよいよ最後のメリット、フレイバーだ。

フレイバーというのは、言い換えるならば『例』と言っていいだろう。
例えば(ああ、この言葉がフレイバーのサインだ)、将棋を見てみよう。
歩兵は前に一歩だけ進むことが出来る駒だ。
香車は車というだけあって、歩兵よりも一気に前に進むことが出来る。
飛車は飛ぶ車というだけあり、前の2つよりもさらに強力で、横にも一気に進むことが出来る。

――これらの駒の名前は、別に『歩兵』『香車』『飛車』である必要はない。
『田中』『加藤』『鈴木』でも、『アレックス』『ハート』『ジョニー』でも、
極論『X』『Y』『Z』でも構わないだろう。

しかし、一つだけ進むコマを『歩兵』と例えることで、
人々はそのコマに親しみを感じ、駒の動きを普通よりもずっと早く覚えることが出来るだろう。

私は囲碁と将棋を嗜むが、多くの友人を見ていると、
「将棋は動かし方ぐらいはわかるけど、囲碁は何するんだかわからないなー」
という声をよく耳にする。

私はこれが、囲碁が将棋よりも難しいからだとは思っていない。
囲碁は将棋に比べて、圧倒的にフレイバーが不足しているので、
多くの人間がとっつきにくく感じているのだと考えている。

(因みに、囲碁もある程度できるようになると、多くのフレイバーが存在することに気づくことができる。
しかし、最初からそのフレイバーを感じるのには無理があるだろう)


また話が脱線しているように感じただろうか?
安心してくれ、間違いなく今、私は『色らしさ』について話している。

カードゲームにおいて『色らしさ』を固めることは、 その色のフレイバーを豊かにし、 その色とプレイヤーの親しみを高める効果があるのだ。

赤は火の色であり、激しさの色だ。
黒は闇の色であり、残酷な色だ。
青は水の色であり、戦略の色だ。
白は光の色であり、堅実な色だ。
緑は草木の色であり、協和の色だ。

これらのフレイバーをずらさないことで、人々はその色を正しく認識し、
その色に愛着を持っていくだろう。

歩兵がある日突然、斜めに動いたのならば、 人々がそれを許すと、私には思えないのだ。




フレアやアキロはルール違反



さて、これまで私は、色らしさにおける3つのメリットを示してきた。

カードが色らしさを守ることで、
弱点を作りゲームを面白くし、
既視感をもたせ安心を与え、
フレイバーの魅力を高めるのだ。

以上の観点から見ると、フレアやアキロがこれらのことを無視しているのがわかる。

フレアやアキロにはほぼ弱点がない。
フレアは単色デッキでありながら対処できない相手が殆ど無く、
アキロは倒す手段こそあるものの、どのタイミングで出てもほぼ働くという性能を持つ。

フレアやアキロは今までの色のカードとは明らかに違う。
フレアは赤であるのに、2エネでパワー7000や、3エネパワー8000を繰り出す。
アキロは緑であるのに、両者の墓地を自由に焼くことが出来る。

そしてフレアやアキロは、色のフレイバーを無視しているのだ。







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フレアやアキロのフレイバー



ここで諸君は、疑問に思ったことがあるかもしれない。
「フレアやアキロは確かに嫌われてると思うし、
赤や緑の機能から若干外れてるかもしれない。

でも、フレイバーに問題はないだろう?
フレアロードは赤の大陸にやってきた異邦人だから赤で間違いないし、
アキロだって精霊使いが墓地を除外するのは自然だよ?」

ああ、この疑問は当然の疑問であり、
この主張には一理どころか、百理あることを、私は認めよう。

しかし、私はフレアやアキロを認めない。
もっと言えば、白の《ソーラービーム・サテライト/V-1》や赤の《大物食い/Fー1》や、
《八雲 紫/零次元ー1》を認めない。

それは、なぜか?
この答えは、次回の私の記事で述べることにする。


今日はここまで



今回は、私の考える色らしさについて述べていった。
ひとつ注意していただきたいのは、この色らしさという概念は、
あくまで私の考える答えであり、絶対的な答えではないということだ。

私は、私の考える真実を述べた。
これを読んで諸君が、何かを考え、SNS等で話すきっかけになれば、
この記事には意味があったといえるだろう。

FixerSは同人ゲーであるからこそ、
ユーザーの声がそのままいい作品を作ることに繋がると、私は信じている。

それでは次回、フレイバーの種類について語る時にお会いしよう。
あなたのD0ライフに幸あれ。


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